Leica M7, 1.4/50 Summilux, RDPIII, @London, UK
とある直接知らない学生さんから「数理な考え方、英語能力、伝える力などが私には備わっておらず、どの程度の基礎力が必要なのかもよく分からない」との質問を受けた。
それは何を目指すかで変わりますよね、、。MD*1/JD*2のような訓練資格、professional degree*3ならともかく、スキルを身に着けたら何かになれるわけではないわけで。*4
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Quick answerとしては、自分がどういうヤバい人間になりたいのかをまず考え、そこから逆算的にスキルを考え、逆算的に経験を積むべき。要は国や組織に頼らずに食っていける人間になれるか。
たとえば、「知的生産で国を超えて飯を食う」なら、英語はNew York Times/The Economist、自分の専門分野の論文(教科書は言うまでもない)が読めて、議論できるレベル。あるいはパリでミシュランの星を得るほどのシェフになりたいなら、フランス語で欲しい物を仕入れることが出来、スタッフに的確に指示し、自分の作りたい世界観を語れないといけない。
とはいうものの、そもそもこんなレベルで戦う人は人口の数%以下だと思われ、みんな自分のサバイバル視点で現実的な目標を立てるのが正しい。好きなこと以前にどうやって自分は生き延びるのか、という視点で、潔く向いていないことは諦め、突き抜けられることで突き抜けることを探るべき。これが人生の基本だと思う。
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深層学習だとか自然言語処理の技術をちゃんと理解して使いたいなら、教科書や基礎論文が読め、使えるレベルの数理素養(すなわち理工系学部1年レベルの統計数理、線形代数、微積分)と計算機科学*5の基礎素養。、、こういう事を言うと、そんなこと誰も教えてくれないという人がいるが、道が引かれているという発想を捨てる*6。これらが必要なことは教科書や論文を開けばわかる。意思のあるところに道が産まれる。
しかし、データ×AIについてもこのように「創る」レベルで戦う人は人口の一部だと思われ、何でも全部やらないといけないわけではない。逆にこういうものを全部身につけても、大した人にならない可能性は相当にある。自分はどんな軸でサバイブするのか、若い人が考えるべきことはとにかくまずはこれだと思う。
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「あれも必要」的なコメントをする人がいるが筋違い。そもそもスキルが身についたらヤバい人になるという発想自体がヤバいというか間違っているのだが、これを多くの人は理解しているのだろうか。勉強や英語だけできて、あるいは資格ばかり色々持っていて、何ら具体的に変化を起こせない人が無数にいる。#シンニホン の1~3章を読んでほしい。
そもそも回す人と創る人、このどっちの人生を歩むつもりなのかを考えるべき。
左だったら分野ごとに求められるスペックがかなり明確に決まっているので、即していなければ基礎スペックを身につけるしかない。例えば光、カメラの原理、ライティングについて体系的に学んでいない人がプロのスタジオ写真家になることは不可能。右の人はそもそも何かで突き抜けないことには話にならない。至極シンプルな話。
今日はこの辺で。
ps. 次のPhD取得者に関するエントリでの問題然り、我が国では明治の近代立国の際に、専門学校や大学の学位イコール「職」的なアプローチを取りすぎて、あくまで資格をとってなにかをやる的な思想が強すぎるように見受けられます。
一般論として教育レベルが人間の選抜システムとして世界各地で使われていることは事実ですが、日本はそれにしては、幹部候補生に求められる訓練レベルが明らかに他のOECD諸国よりも低い。その上、その選抜が統計的にはかなりのふらつき(少なくとも数%程度)のある中で一点を争うというものであり、半ば「運」を見ている(選抜側の手抜きシステムと言われてもしょうがない仕組み)。
選抜はもっとポテンシャルに目を向けたほうがいいし、育成は次の「大学院教育で何が出来ると人が育ったと言えるのか」通り、もっとスキルドリブンにやったほうがいい。各自はもっと自由にどのような技を持って、どうやって生き延びるかという視点ですべてを考え直したほうがいいように思います。
#シンニホン #沈ニホン